沖縄に友人が転職したのをきっかけに、この二か月くらいで3回くらい行った。
久々に会う友人は相変わらずで、お互いにもうすぐ50歳だけど大学時代と同じノリだ。
もともと旅が大好きな奴なんで、北海道とか沖縄に猛烈に詳しい。
外国には出張以外では、あまり行かないようだ。
まずは自宅のある うるま市周辺をうろうろして沖縄の普通を知る。
電車がないからバスとか
アメリカ軍の基地は想像以上に大きいし多いとか
アメリカの文化がかなり浸透しているとか
DFSがあるとか
産業振興のためか「かりゆしウェア」で沖縄産など地元産を意識しているとか
建物は台湾の建物に誓い建てかただとか、秋田なんかと全然違う。
夜遅いとか24時まで何でも営業しているし、そのころまでみんな普通に起きているようだ。逆に秋田とか8時か9時には寝てるんちゃうんかと思う。
戦争の爪痕が大きい。空襲とちがい豪雨のような艦砲射撃や草むらや森に対する火炎放射や毒ガス攻撃など、どこにも隠れられないような悲惨なアメリカ軍による殺し方を経験している。
それと対照的な青い海と空
まず3月30日はうるま市の石川漁協婦人部さんだ。これはホント最高だ。
そして、これを買って、海辺で寝ころんでた。
なんも買ってないけど・・・もちろん買うものすらないけど
これが驚きだ。海外だけだと思っていた。そんな意味では海外だった時の残りなのかもしれない。少し悲しいけどね。
そして、ルートビアー これ大好き。もちろんドクターペッパーっぽいから(笑
そして、行く予定で放ったけど、連休の前半
早朝7時半だかの出発に合わせて前泊した。 関空のスターゲートホテル
名護行きのバスの111番
そして、海中道路
そして、お約束の(笑??
そして、浜比嘉島
そして、海中道路を戻って、少し寂しい展望台から
そして、散歩した。夕焼けがきれいだ。
そして あかみちラーメン 赤道ラーメンだけどね
そして、友人宅を後にして、ひとり海軍旧司令部跡に
沖縄県民に戦いを評した太田司令官の電報は何度読んでも泣ける。
「沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。
沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛召集に進んで応募した。残された老人・子供・女性は頼る者がなくなったため自分達だけで、しかも相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれてしまってただ着の身着のままで、軍の作戦の邪魔にならないような場所の狭い防空壕に避難し、辛うじて砲爆撃を避けつつも風雨に曝さらされながら窮乏した生活に甘んじ続けている。
しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。
どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女性は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。
看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。
さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜の内に遥かに遠く離れた地域へ移転することを命じられ、輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。
つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、(一部に悪評が無いわけではないが、)ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。
食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。
沖縄県民はこのように戦い抜いた。
県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする。」
この国民性は何なのだろうと思う。みんな良い人すぎて、今の日本の今だけ、自分だけ、目先だけという態度があまりにも恥ずかしい。
3回目の訪問は別に書くとする。
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