例えば大好きな人がいるとする。見た目が? 性格が? 態度が? さて、何が好きなんだろうか?
そうかんがえると、好きになるにも本当に見た目だけ、表面だけが好きになっても
それって、中身と外は違うから、結局はさようならになるよね?
じゃあ、どうすれば本当に好きな人にであえるかって考えると
その人に出会えるように感性を磨かなければ、その人とは出会えない。

人ではなくて、物であっても、それは同じ気がする。

つまりだ。簡単に見た目が良くて好きになるとかもあるだろう。
でも、それは本当に好きってことじゃないのだと思う。

もっともっと深く好きになり、もっともっと深く愛せるには
本当にそれを理解できる深い考察と深い経験が熟成した心が必要なのではないだろうか。
それには、それに出会ったときに感じる強い想いを持ってなければ維持できないと思う。

強い思いを維持するには、感動する事をなんどもなんども繰り返さねければいけない。
それは苦しいことの連続だと思う。精神的な苦しいことを繰り返して
感動をたくさん経験して、そして感性が熟成していくのだと思う。
その上でやっと心が育ち、本物に出会えることができるのだと思う。
本当に大好きな人に出会ったり。本当にすごい宝に出会ったりするのだ。

そう考えると、宝って自分自身の感動することができる心ってことになるね。

なるほどなぁ。じゃあ、だれでも宝を得ることができるということだ。
貧乏でも、金持ちでも、世界中の誰でもが平等に人生の宝を手に入れることが出るとは
神様もしゃれたことをしてくれているね。

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